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水戸地方裁判所 昭和36年(ワ)96号 判決 1971年3月11日

原告 佐藤正喜 外二名

被告 株式会社日立製作所

主文

原告佐藤正喜、同根本道直が被告に対し雇傭契約上の権利を有することを確認する。

原告影山典男の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告佐藤正喜、同根本道直と被告との間においては被告の負担とし、原告影山典男と被告との間においては同原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告ら

1  原告らが被告に対し雇傭契約上の権利を有することを確認する。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求の原因

(一)  被告会社は肩書住所地に本社を有し、電気機械器具の製造および販売等を目的とするもので、日立市に日立工場を有するほか各地に工場、営業所等を有する株式会社である。

(二)  1 原告佐藤は、昭和三二年一〇月七日臨時員の名目で被告会社日立工場に雇傭され、以後昭和三三年一〇月七日、同三四年一〇月七日、同三五年一〇月七日、の三回、契約の更新を行ない、引続き従業員として雇傭されてきた。

2 原告根本は、昭和三二年一一月一八日臨時員の名目で被告会社日立研究所に雇傭され、以後二カ月ごとに更新を二回、三カ月ごとに更新を一三回行ない、引続き従業員として雇傭されてきた。

3 被告影山は、昭和三四年九月一六日被告会社国分工場に臨時員の名目で雇傭され、以後三カ月ごとに契約の更新を行ない、引続き従業員として雇傭されてきた。

(三)  ところが被告会社は、原告佐藤に対しては昭和三六年一月二日付で、原告根本に対しては同年三月一七日付で、原告影山に対しては同年七月一四日、いずれも契約の更新拒絶(いわゆる傭止め)の意思表示をした。

(四)  しかし、原告らと被告会社との間の雇傭契約を法律的にみれば、次の理由によりその実体は期間の定めのない雇傭契約である。

1 雇傭契約の当初から、期間の定めのない契約として締結されたものである。すなわち、原告佐藤同根本は、それぞれ一カ年または二カ月の期間を定めた契約書をとりかわしているが、契約締結当時、被告会社職員は同原告らに対し「一応臨時工契約ということになつているが、真面目に働いていれば馘にすることはなく、従業員として引続き働いてもらう。また、間もなく試験を受けて所員になるのだ。」と告げ、原告らはその言を信じて被告会社に入社し、被告影山もまた臨時員であることも、契約期間の定めがあることも告げられることなく入社したものであつて、原告らは形式上の期間が満了しても引続いて雇傭されるものと期待して雇傭契約を締結したものである。

2 かりに、雇傭契約の期間について当事者双方の合意が成立したとしても、その期間の定めは、社会的妥当性を欠き無効といわなければならない。原告らとの間に契約期間を二カ月、三カ月または一年と定めたことは、経済的強者である被告会社がその優越的地位を利用して、その日その日の生活に追われている経済的弱者の原告らに対し、一面においては更新され馘首されることなく所員にすぐなれるなどと申し向けながら、他面において期間の定めある臨時工契約書に署名しなければ採用しないという状況のもとに押しつけた結果にほかならない。原告ら臨時工は、一時的な労働力の不足を補填するために雇傭されたものではなく、被告会社の工場における恒常化された存在として本工と同様の作業を遂行し、かつ全従業員数の半数近くを占めているにもかかわらず、組合を有しておらず、また本工組合への加入も認められていないのである。被告会社が臨時工制度という一種の身分制度を採用した真の目的は、従業員中に差別を設けてその団結を妨げ低賃金を固定化することにあつたのである。すなわち、被告会社は臨時工制度を採用することによつて、従業員の半数に近い者を組合に加入していない労働者としてこれを支配し、組合の闘争力を減殺することができたし、臨時工と本工の労働条件を差別することによつて、本工をして被告会社から優遇されているかのような錯覚を抱かせることができた。その結果、臨時工は賃金、休暇、福祉厚生等についてはもとより、社会的にも差別視される結果となつたのであり、しかも被告会社の都合によつて単に臨時工であるがために解雇され、景気の変動や経営の拙劣さ等から生ずる損害を一方的に臨時工に転嫁されるのである。憲法第一四条労働基準法第三条は、国民が前近代的な不合理な理由によつて社会的、経済的に差別をされてはならないことをも宣言しているのであつて、被告会社が原告らに対して、臨時工の名目で二カ月、三カ月または一年の期間を押しつけることは、みぎの身分的差別を禁じた憲法および労働法の法秩序に反し社会的妥当性を欠くから無効である。

3 かりに、原告らとの間の雇傭契約につき前記のような期間の定めが有効に成立したものとしても、原告ら臨時工の作業内容は本工のそれと同一であつて、被告会社の基幹的生産工程に組み入れられており、また契約の更新手続は、全く形式的かつ杜撰なものであるばかりでなく、期間満了後も行なわれないことすらあり、原告らはじめ多くの臨時工はその場合にも通常通り勤務し、被告会社も何ら異議をとどめることがなかつた。原告らについては、以上のような更新手続が長期にわたつて繰り返されてきたのであるから、被告会社が原告らに対し傭止めの意思表示を行なつた当時既に、原告らとの間の雇傭契約は期間の定めのないものに変わつたものといわなければならない。

(五)  以上に述べたとおり、本件雇傭契約は期間の定めのない契約であるから、原告らに対する本件傭止めの意思表示は解雇の意思表示と解すべきであるが、それはつぎの理由により無効である。

1 本件傭止めの意思表示は、原告らの思想、信条の自由、集会、結社の自由を侵害するものであり、民法第九〇条により無効である。

原告らは、昭和三四年一〇月一〇日被告会社が従業員の藤田耕造を懲戒解雇したことに関し、みぎの解雇が労働者の権利を侵害する違法なものであるという立場から藤田を守り解雇を撤回させる運動をおこすべく結成した「藤田耕造を守る会」の会員であり、積極的な活動を続けてきた。また原告らは地域の職場の労働者、市民とともに「神峯コーラス」というサークルを結成し、その中心となつて活動を続けてきた。原告らはさらに日本民主青年同盟に加入し活動を行つていた。

被告会社は原告らの以上のような活動や思想を敵視し干渉を加えていたものであつて、原告らに対する解雇の真の理由は、原告らのこのような思想や活動の敵視にあつたのである。

2 本件解雇は不当労働行為であり、公序に反し無効である。

原告らは前項記載のような活動をするとともに臨時工の組織化および本工組合との結合の強化のために職場活動を行なつてきた。

被告会社は原告らのみぎのような活動を理由として本件解雇に及んだものである。

3 本件解雇は権利の濫用であつて無効である。

およそ解雇を行なうためには、労働契約関係の継続を期待することができない特段の事情があることが必要であつて、それを欠く解雇は、権利の濫用として無効たるを免れない。ところで本件解雇は、単に期間満了という形式的事由だけで行なつたものにすぎず、前述のような特段の事由は存在しないから、権利の濫用であり無効である。

(六)  かりに、本件雇傭契約が更新を反覆した後も依然期間の定めがある有期契約であるとしても、前述の原告らに対する更新拒絶の意思表示は、つぎの理由により無効である。

1 本件雇傭契約は二カ月、三カ月または一年の契約期間が満了しても労働契約関係の継続を否定するに足りる特段の事情がない限り、当然に更新されることが前提となつていた。このことは原告らが被告会社から、前記のように「真面目に働いていれば所員になれる。」等といわれていた事情や原告ら臨時工はすべて長期雇傭を予定され、実際にも数年にわたつて雇傭されてきたこと、契約更新手続は形式化し期間満了後に行われることが通例となつていたこと等から考えて明らかである。したがつて原告らとしては、特段の事情がないかぎり当然に契約が更新されるものと信じていたのである。されば何ら特段の事情もなくして行なわれた本件更新拒絶の意思表示は、権利の濫用であり無効である。

2 また、被告会社の従業員のうち、本工に対する臨時工の数の比率が極めて高く、しかもこの両者の作業内容が同一であつて、臨時工は完全に被告会社の基幹的生産工程に組み入れられていたため、その雇傭契約期間が満了しても引き続き契約を更新されるのが常態となつており、それは民法第九二条のいわゆる「事実たる慣習」になつていた。そして原告らはもとより被告も、みぎの慣習を排斥する意思を表示していなかつたのであるから、本件契約当事者はみぎの慣習に従う意思を有していたものというべきである。したがつて、被告会社が特段の事情もないのに更新拒絶の意思表示をすることはみぎの「事実たる慣習」に反し、許さるべきでない。

3 さらに、前述のように臨時工契約の更新ということが常態化している状況のもとで、原告らとの間の雇傭契約が何回となく更新されてきた場合には、特段の事情がない限り契約を更新する旨の暗黙の合意が当事者間に成立していたものとみるべきである。したがつて特段の事情の認められない本件更新拒絶の意思表示は、みぎの合意に反し、無効といわなければならない。

(七)  以上のようなわけで、被告が原告に対して行なつた解雇または更新拒絶の意思表示は無効であるから、原告らは被告に対しそれぞれ雇傭契約上の権利を有することの確認を求める。

二  答弁および反論

(一)  請求の原因第一項は認める。

同第二項について

1 原告佐藤は昭和三二年一〇月七日被告会社日立工場に臨時員として契約期間を一年と定めて雇傭され、爾後期間満了の都度一年の期間を定めて雇傭契約を締結し、昭和三五年一〇月七日にいたり期間を三カ月と定めて雇傭契約を締結したものである。

2 原告根本は昭和三二年一一月一八日被告会社日立研究所に臨時員として契約期間を二カ月と定めて雇傭され、爾後期間満了の都度二カ月の期間を定めて雇傭契約を締結してきたが、昭和三四年三月一八日にいたり契約期間を三カ月と定めて雇傭され、爾後期間満了の都度三カ月の期間を定めて雇傭契約を結んできたものである。

3 原告影山は昭和三四年九月一六日被告会社国分工場に臨時員として契約期間を一カ月と定めて雇傭され、同年一〇月一六日期間を三カ月とする雇傭契約を締結し爾後期間満了の都度三カ月の期間を定めて雇傭契約を締結してきたものである。

同第三項について

被告会社は、原告佐藤に対し昭和三六年一月六日、同根本に対し同年三月一七日、同影山に対し同年七月一四日、それぞれ期間満了後は再度契約をしない旨を申渡したものである。

同第四項について

1 第1項は否認する。

被告会社は臨時員を採用するにあたり、予め簡単な読み書きのテスト(研究、検査関係職種の臨時員については、工業高校二年程度の学科テストを行うことがある。)、口頭試問、身体検査を行なつて採否を決定するのであるが、採用を決定した者にに対しては入社手続を実施する。すなわち、まずこれらの者を一堂に集めて工場概要を説明し、ついで臨時員就業規則を各人に交付した上労働条件全般について就業規則を一条ごとに詳細に説明し、その上で各人に用紙を交付して契約期間を記載した労働契約書を提出させ、さらに「臨時員証」と明記された身分証明書を交付するのである。さようなわけで臨時員は、雇傭契約の当初から、有期契約の臨時員として入社するものであること、云い換えれば期間の満了とともに雇傭関係が消滅するものであることを充分承知しているものであつて、もとより原告らもその例外ではない。

2 第2項は争う。いわゆる臨時工であるがために、期間の定めある契約を押しつけられるということは明らかに論理の倒錯である。有期契約制により採用された者が臨時工なのである。また憲法第一四条労働基準法第三条の法意は、使用者は労働者に対して、すべての場合にその労働条件につき一律に取扱わなければならないという趣旨ではなく、直接労働そのものについて締結した雇傭契約の内容に差異を生ずることは已むを得ない。

3 第3項は否認する。被告会社は臨時員の本質からして、その時々の労働力の需給の状況および労働者の質(能力、勤務成績、協調性等)の維持向上を考慮して契約期間満了の都度、再契約すべきかどうかを検討の上決定しており、現に期間満了後再契約をしない臨時員は少なくない。現に、臨時員が一番多いときは昭和三五年頃従業員一万一、〇〇〇人のうち約四〇パーセントを占めていたが、最近は減少して従業員一万一、五〇〇人のうち約五、六パーセントにまで下がつている。さようなわけで臨時員の数は作業量に見合つて変化するのであり、長期契約を前提としたものでないことは明らかであるとともに、契約更新の手続も前記のように慎重審議の上行われているのであつて、かりに事務上何らかの手違いのため更新の手続が遅れたことがあつてもその場合には例外的に有期契約の黙示の更新が行われているのであつて、これをもつて形式的であるということは当らない。

同第五項について

1 第1項のうち、被告会社が原告らの主張するような活動や思想を敵視したため解雇したとの点は否認する。原告らがさような活動を行ない思想を有していたかどうかについては被告会社は関知していなかつた。

2 第2項のうち、被告会社が原告らの主張するような活動を理由として解雇したとの点は否認する。

3 第3項は争う。臨時員契約はあくまで有期契約であることにかわりはなく、したがつて期間が満了すれば当然に終了する。その際離職するか、雇止めにするか、契約を更新するかは、当事者間で全く自由に決定せられるべきものであつて、有期契約が終了したとき、使用者に雇止めの自由があるし、被用者は離職の自由を有しているが、たまたま両者の意思が合致すれば契約更新が行われるのである。このことは契約の当初、当然に前提とされていたことで雇止めに際してのみ特段の理由を必要とすると解することは当を得ない。

同第六項の1、2、3の点は何れも否認する。

(二)  被告会社が原告らに対し更新拒絶の意思表示をしたのは、つぎの理由によるものである。

1 原告佐藤正喜(この項において以下単に原告という。)

原告は、被告会社日立工場の検査部電機検査課整流器検査係に所属し、昭和三四年四月頃からシリコン整流器のエレメント検査作業に従事していたが、この作業は順特性試験と逆特性試験に大別されており、その何れの場合も出来上つたエレメントを所定の計測器にかけエレメントの出来具合によつて計測器上に示される針を読み取り、予め定められた許容限界をはづれる製品を不合格品として取出すとともに、検査品の計測器面に出た数値を後日の検討資料として記録するものであるが、この作業は、まず順特性測定器によつて順特性を測り、つぎに逆特性測定器によつて逆特性を測るという順序で流れ作業として行われるものであつて、原告はみぎの順特性測定を担当していた。ところで測定器の測定能力は順特性が一に対し逆特性が二の割合であり、被告会社は昭和三五年夏から順特性測定器二台を備え付け原告を含め二名に専業的に担当させ、逆特性測定の作業は一名を専任することによつて、測定検査作業を円滑に遂行させることとしたのである。以上のように順特性測定による検査作業は二人一組となつて行われるため、そのうちの一人が休んだ場合には他の係から応援を求める必要があるとともに、被告会社におけるシリコン整流器製作の歴史が浅く製作能力も設備の関係から限度があるが、製品の受註量には波があり、時期によつては相当量の仕事が重なる場合も出てくるので、このような場合は測定検査担当者の公休日出勤又は時間外労働によつて消化せざるをえない状況にある。したがつてエレメント検査作業に従事する者が、被告会社の予期しないとき、なかんずく納期が迫り、従業員が計画された作業量の消化のために協力している最中などに突然欠勤するときは作業計画がその都度狂わされるので。被告会社としては改めて作業量の消化対策を考えなければならなくなるのであつて、以上の事情は、この部門に属する従業員はすべて熟知している。

原告は他の従業員に比して欠勤が極めて多く昭和三五年中における欠勤は一三日を数え、その欠勤ならびに年次有給休暇は二週間に一回の割であつて、これは原告の所属する検査部電機検査課の他の従業員の平均の約五倍にも達するのである。しかも原告は、納期が迫り仕事が忙しい最中であろうとなかろうと、全く自分の都合のみを考えて被告会社の予期しないときに突然欠勤し、または年次有給休暇をとるために、被告会社はその都度作業計画の遂行に蹉跌を生じ、結局作業遂行上原告に期待を寄せることができなくなつていた。

さらに原告は、昭和三三年夏、同人の属する電機検査課の大型回転電機試験作業の応援を命ぜられた際、予告なしに屡々休み、あるいは勤務がつらいからといつて従前の作業えの復帰を執拗に希望した。

以上のように、原告は平素から責任感に乏しく、業務の遂行に対して誠意がなかつたので、契約期間の満了に際し更新拒絶の意思表示をしたものである。

2 原告根本道直(この項において、以下単に原告という。)

原告は被告会社日立研究所第八部第八一研究室磁気増幅器係に所属し、実験研究の補助作業を担当していたが、研究補助者の業務は、これを端的にいえば研究テーマに従つた信憑性の高い諸々のデーターを研究者の指定した方法に従つて蒐集することである。研究補助者も当初のうちは研究者から研究テーマについて、その内容、実験手法、使用する実験器具とその組立てかた、実験データーの整理方法等細部にいたるまで詳細な指図と実験途上における諸々の注意を受けて作業するのであるが、経験を積むうちに、慣れと自己研鑽によつて実験テーマを与えられただけでその実験の器具や手法について直ぐ理解できるとか、あるいは必要な実験手法、実験器具の組立て、実験データの解析ができるまでに成長して行くのが普通である。

原告は昭和三二年一一月から退社するまでの三年半の間、研究補助者として就業していたが、その仕事振りは最初の頃と比較して少しも進歩せず、細部万端にいたるまで逐一研究者の注意、指示を受けなければ実験を進められない状況であつた。さらに昭和三五年三月整流器の特性試験を命ぜられた際に、必要な実験手法、器具、データーの整理方法にいたるまで細部にわたる指示を受けながら、勤務時間中漫然として仕事を進めようとせず、レポートの提出を求められてもなかなか提出しようとしなかつたり、また昭和三六年一月、他の同僚とともに実験データーの提出を求められたときも他の同僚がすべて提出したのにかかわらず退職時まで遂に提出しなかつたように、作業に関し万事投げやりな態度をとり自分から意欲的に仕事を覚え、研鑽を積もうとする積極性に欠けていた。そもそも研究データーの蒐集はその信憑性の高いことが研究推進上不可欠の要件であるのに、以上のような作業態度のため原告の行なつた測定結果は、迅速を欠くほかその信頼性が薄く研究者自身または他の補助者が追試を行うことも屡々であり、勢い原告に対しては簡単な雑用的データーの蒐集しか依頼できない状況であつた。以上のように原告は研究補助者として成業の見込みが全くないので、被告会社は契約の更新を拒絶したのである。

3 原告影山典男(この項において、以下単に原告という。)

原告は被告会社国分工場の原料部第一製罐課部材係に所属し製罐品の機械加工作業に従事していたものであるが、契約期間満了日の五日前である昭和三六年七月一〇日退勤時刻頃、突然第一製罐課長米沢信雄の許へ来て、自分は会社を辞めるが印鑑を持つてきていないので帰宅後退職願書に捺印した上明日提出する旨挨拶した。従来臨時員で契約期間中に退職を願い出る例が少なくなかつたので、米沢課長は、原告に何等かの都合があつて退職を願い出たものと考えていたところ、原告は翌一一日朝米沢課長のところへ来て退職はしない旨述べて前言をひるがえし、さらに職場の朝礼のとき突然、自分は会社から不当に辞めさせられようとしているが断乎闘う旨発言し、このため職場の朝礼は異様な空気に包まれた。このような異例な原告の言動を聞知した原告の実兄影山皓一主任は、原告のこのような態度に憤慨し、職場で原告との間にいさかいを生じた。もとよりこのような両名の行動は職場規律を乱すものであつて、たとえ兄弟間の問題であつてもこれを看過することはできないため、被告会社はとりあえず影山主任を遣責処分に付した。

原告は、同月一五日が契約期間の満了日になつていたのであるが、翌一二日から一四日までの間、朝出勤時に工場の通勤門のところで被告会社やその従業員個人を誹謗、中傷する虚構の事実を記載したビラを撒いた上、さらに就業時間中無断で職場を抛棄して工場長室にいたり係の女子職員に威嚇的態度を示しながら工場長との面会を強要し、多忙のため面会を断わられてもなお執拗に要求を続け、係員がかけつけて漸く退散するというような不当な行為を行なつた。

原告は、被告会社国分工場において、当初ボール盤作業を担当していたが、不器用のためか組長の指導にもかかわらず作業能率の向上が期待できなかつたし、ついでフライス作業に職種を変更したが依然として能率が芳ばしくなく、組長に対しては非協力的な態度をとることが多く所定の作業日誌の提出も怠りがちで、同人の再三の注意にもかかわらず、改めようとしなかつた。

みぎのように原告は成業の見込みがなかつたが、被告会社としては前述の各事件が発生するまでは原告との間の雇傭契約を更新するかどうかは決定していなかつたのであるが、前述のような職場の秩序を乱し、また被告会社やその従業員個人の名誉、信用を毀損するという懲戒解雇に値する行為があつたので、本来ならば懲戒解雇に処するところであるが、契約期間が満了する際でもあり、原告の将来のことも考えた上、同月一四日同人に対し、更新拒絶の意思表示をしたものであつて、原告の勤務態度および前記の行動に照らし被告会社のとつたみぎの処置は正当である。

三  被告の主張に対する原告の応答

被告主張の(二)の点について、原告らはつぎのとおり応答し、反駁する。

1  原告佐藤正喜(この項において、以下単に原告という。)

原告がシリコン整流器のエレメント検査作業に従事していたこと、このエレメント検査は順特性測定検査と逆特性測定検査に分類され原告が前者を担当していたこと、昭和三五年から同作業の担当者が原告を含め三名となつたこと、および原告が昭和三三年夏、大型回転電機試験の作業を担当するようになつたことは認めるが、その余の点は争う。前記測定検査に使用される測定装置の能力は順特性の場合と逆特性の場合とで差異はなく、みぎ装置は各一台設置されていたから昭和三五年から増員された一名は順特性測定を担当していた原告と逆特性測定担当者の双方につき仕事の繁閑に応じて手伝いを行い、全体としての作業遂行を援助してきた。したがつて原告が欠勤したときは増員者が原告に代つて順特性検査を担当することにより作業に支障を来たすようなことはなかつた。被告会社は、原告の年間欠勤日数が一三日に及ぶ旨主張するが、それは一カ月一回の割合にすぎず、しかも理由を明らかにして届け出た上で欠勤したものである。なお、原告は定められた期間に定められた測定報告を行なわなかつたことは一度もない。

2  原告根本道直(この項において、以下単に原告という。)

原告が被告会社日立研究所の研究補助の業務を担当していたことは認めるが、原告が他の同僚と比較して作業能率が劣つているという点は否認する。原告は、研究補助員としてその責を果たしたし、なかんずく、セレン半導体整流器の特殊性直視装置の試作実験のデーターはすべて原告が蒐集したものであり、これにもとづき日立研究所や所外関係者に研究報告が行われたが、そのデーターの信憑性や技術的水準は高く評価されたのである。

3  原告影山典男(この項において、以下単に原告という。)

原告の組長である大楽政武は昭和三六年七月一〇日午前原告に対し、自発的に退職するよう要求したので、原告はその理由を質したところ、大楽は仕事の都合によるものではなく思想上の問題によるものである旨答えたので、原告はみぎの退職の要求を拒否した。そこで被告会社は、原告の実兄影山皓一を利用して原告を飜意させようとはかつた。そして同日午後影山主任は大楽組長とともに原告のところに到り、『勤労や部長の腹もきまつている。お前は一五日で解雇になる。馘になれば日製関係の下請負でもお前を使わない。だから自分でやめた形にする方が有利だ。馘になるのはお前の思想がよくないからだ。憲法はお前の思想を認めているかも知れないが、日製には憲法は通用しない。』と述べて退職を強要したが、原告は退職を拒否した。ところが原告が翌一一日出勤すると、大楽組長は朝礼の際、職場の全員を前にして、原告は自分の都合で退職することになつた旨を報告した上、原告に対し挨拶するよう勧めたので原告は、自分は組長や主任から自発的に退職するよう種々圧力をかけられているが、退職する意思はないので応援を乞う旨述べた。そして原告が作業を開始すると間もなく、大楽組長と影山主任が原告のところに来て交々退職届を提出するよう強要し、さらに作業の中止を求め、特に影山主任は原告に対し、機械に手を触れたら刑事々件になる旨述べて同人を脅迫した。被告は影山主任と原告が職場でいさかいを生じ職場秩序を乱した旨主張するが、これは誤まりである。被告会社の職制である影山主任が実兄の力をかりて原告を退職の形で不当に解雇しようとした計画が不成功に終わつたため狼狽した結果にすぎないのであつて、原告が責任を追及されるいわれはない。また原告が被告会社国分工場の門のところで配布したビラには、中傷、誹謗、虚構の事実が記載されてはいないし、工場長と面会するために上長に無断で職場を離れたこともなければ、工場長と面会するために女子職員に対し威嚇的態度を示したこともない。

原告が被告会社国分工場において、当初ボール盤作業を担当し、その後フライス作業を担当したことは、被告の主張するとおりである。しかし原告がフライス作業を担当するようになつたのは当時その作業量が増大し従前の作業員一名では処理出来なくなつたため、特に原告が選ばれたのであつて、それはとりもなおさず原告が他の作業員より技術が上廻つていたからにほかならない。けだし、フライス作業はボール盤作業より高度の技術を要求するからである。また作業日誌の提出につき原告が他の作業員に比し特に遅れたということはない。

証拠<省略>

理由

一  被告会社は電気機械器具の製造、販売等を目的とする株式会社であり、肩書地に本社を、日立市に日立工場を有するほか、各地に工場、営業所等を有するものであり、原告佐藤は昭和三二年一〇月七日被告会社日立工場に臨時員(いわゆる臨時工)として期間を一年と定めて雇傭され、以後期間満了の都度契約を更新し、原告根本は昭和三三年一一月一八日被告会社日立研究所に臨時員として期間を二カ月と定めて雇傭され、以後二カ月ごとに二回契約を更新し、昭和三四年三月一八日契約を更新する際期間を三カ月と定め、以来期間満了の都度契約を更新したこと、および被告影山は昭和三四年九月一六日被告会社国分工場に臨時員として雇傭されたことは、当事者間に争いがなく、証人金原和夫、金子二郎の各証言と原告佐藤正喜本人尋問の結果を総合すると、原告佐藤は昭和三五年一〇月七日三回目の契約更新の際、期間を三カ月と定めたことが認められ、また弁論の全趣旨により成立を認める乙第三号証の三と原告影山典男本人尋問の結果を総合すると、原告影山は当初の契約の際期間を一カ月と定め、最初の契約更新の際期間を三カ月と定め、以後三カ月の期間満了の都度契約を更新してきたことが肯認できる。

二  被告会社が、原告佐藤に対し昭和三六年一月上旬、原告根本に対し昭和三六年三月一七日、被告影山に対し昭和三六年七月一四日それぞれ改めて契約をせず期間満了とともに雇傭契約を終了させる趣旨のもとにいわゆる傭止めの意思表示(原告らのいわゆる更新拒絶の意思表示)をしたことは当事者間に争がない。

三  被告は、本件各雇傭契約は名実ともに期間の定めのある契約であり、契約の更新が反覆されても終始有期契約であることに変りないのであるから、原告らに対する本件傭止めの意思表示により、雇傭契約は期間の満了とともに終了した旨主張するので、まず本件雇傭契約の法的性格につき、以下検討を加える。

証人飯塚一雄、金子二郎、金原和夫、小堀與一、橋本英明、米沢信雄、大楽政武、川本一郎の各証言および原告佐藤正喜、根本道直、影山典男各本人尋問の結果(ただし影山典男は一部)を総合すると、つぎの事実が肯認でき、原告影山典男本人尋問の結果のうち右の認定に牴触する部分は信用できず他に右の認定を左右するに足りる証拠は存在しない。すなわち

被告会社は、経済界における景気変動に備えて労働力の需給を調整する目的のもとに、昭和二六年頃から臨時員(いわゆる臨時工)制度を採用し、相当数の臨時員を各工場等に常時雇用してきたが、臨時員の数は昭和三二年頃以降経済界の好況を反映し多少の波はあるものの漸増の傾向を示し、日立工場においては昭和三五年度は従業員約一万一、〇〇〇名のうち約四〇パーセント、昭和三六年度は従業員約一万四、〇〇〇名のうち約三五パーセントに達し、また国分工場においても昭和三五年度は従業員約五、〇〇〇名のうち四〇パーセント余、昭和三六年度は従業員六、二〇〇名のうち約四二パーセントに達していること、臨時員の就労する作業の性格も臨時的、附随的なものではなく、また季節によつて繁閑を生ずるようなものでないばかりでなく、むしろ所員(いわゆる本工)とともに基幹生産工程に組み入れられており、引続き一年従業した者には勤務実績により上長の推薦のもとに所員登用の機会が与えられており、事実三年前後を経て所員に登用される者が少なくなかつたこと、ところで原告佐藤は出身校である秋田県能代工業高校において筆記、口述試験を受け昭和三四年一〇月七日日立工場で行われた身体検査に合格して採用が決定し、同日労働契約書にもとづき期間を一年(被告会社は遠隔地から臨時員を採用する場合は期間を一年とする建前であつた。)と定めて雇傭契約を締結し、原告根本は日立研究所員の縁故紹介で臨時員の募集に応じ、筆記および口述試験、身体検査を受けた上採用が決定し、昭和三二年一一月一八日労働契約書にもとづき期間を二カ月と定めて雇傭契約を締結し、原告影山は昭和三四年九月一六日茨城県職業訓練所の卒業と同時に採用が決定し、労働契約書にもとづき期間を一カ月(国分工場における臨時員契約の更新は、手続事務の便宜上、毎年一月、四月、七月、一〇月に行なう建前であつた。)と定めて雇傭契約を締結したが、原告らはいずれも契約当日当該工場の人事担当者から、臨時員就業規則等につき説明を受けた上、「一年間は臨時員として働いてもらい、その上で優秀な者は所員(本工)に登用する。」旨、または「真面目に働いてもらいたい、そうすれば所員になる途も拓かれる。」旨説明され、したがつて契約書に記載された期間の定めにかかわらず、将来引続き雇傭されるものと期待していたこと、その後被告会社は原告らとの間の雇傭契約期間が満了しても、必らずしもその都度、改めて労働契約を作成するなどの更新の手続をとることなく、数日を経過してはじめて右の手続をとることもあつたこと、原告佐藤は被告会社日立工場の検査部電気検査課整流器検査係に所属して整流器のエレメント検査作業に従事し、原告根本は被告会社日立研究所第一部第一一研究室に配属され整流器の特性、磁気増幅、リアクトルによる電流制限等の実験研究等の作業を担当し、また原告影山は被告会社国分工場の原料部製罐課部材係に所属し機械工として当初はボール盤作業ついでフライス作業に就業していたが、以上の作業はいずれも所員のそれと何ら異るところなく、両者が一体として基幹作業活動の一環を成していたこと。以上。

しこうして以上の事実関係に照らして考えてみると、前記各雇傭契約成立当時、当事者双方ともに、期間の満了により契約が終了するものとは考えておらず、被告会社としては労働力の過剰状態が生じない限り労働の提供を期待しており、原告らとしても将来連続して雇用されることを希求していたものであつて、前記労働契約書の上では期間の定めはあるが、実質的には当事者のいずれからか契約を終了させる意思表示がない限り、期間の満了とともに当然に更新されることを前提として雇傭契約を結んだものと認めるのが相当である。したがつて前記各雇傭契約は、期間の満了とともに当然更新され、この更新が反覆されるにしたがつて漸次その有期的性格を失ない、前述の原告らにする各傭止めの意思表示がなされた当時には既に実質上存続期間の定めのない雇傭契約として存続していたものと解すべきである。成立に争いのない乙第一号証証人飯塚一雄、川本一郎の各証言と弁論の全趣旨を総合すると、被告会社日立工場および日立研究所の各臨時員就業規則には国分工場の臨時員就業規則と同様、雇傭契約期間が満了したときは該契約は終了する旨の規定が存することが認められるが、前述の理由により右の各規定は原告らに対し適用の余地がないものといわなければならない。

さようなわけで、原告らに対する本件傭止めの意思表示は、これを法律的にみれば解雇の意思表示に該当するものと解せざるをえない。

四  原告は、本件傭止めは思想信条集会結社を理由とする差別的取扱であり、また不当労働行為に該当する旨主張するのでこの点につき考えてみる。

成立に争いのない甲第六ないし第八号証原告佐藤正喜、根本道直、影山典男各本人尋問の結果を総合すると、原告佐藤は、昭和三三年五、六月頃作られた「人生手帳」の読者の集りである「緑の会」、被告会社が藤田耕造を懲戒解雇に付したことを不当であるとしてその撤回運動をおこすために昭和三五年初頃結成された「藤田耕造を守る会」および同年六月頃作られた「神峯コーラス」にそれぞれ加入してサークル活動その他の活動を行ない、とくに「藤耕造を守る会」においてはその中心メンバーの一人として被告会社の臨時員の組合結成につき討議を行ない、原告根本も前記各サークル活動等諸活動を行ない、ことに「神峯コーラス」にあつては中心メンバーとして活躍し、さらに原告影山も「藤田耕造を守る会」、「神峯コーラス」に加入してみぎと同様の活動を行なつたことが認められる。しこうして、証人飯塚一雄、金原和夫、金子二郎、小堀與一、橋本英明、の各証言を総合すると、被告会社の日立工場および日立研究所において、所属臨時員につき傭止めとするか、雇傭契約を更新して引続き使用するかの事実上の決定権限は課長(日立研究所にあつては主任研究員)に属し、課長は所属主任とともに臨時員の能力、勤務成績、協調性等を検討した上、所定の人員計画の枠内で決定し、人事担当機関は右の決定にもとづく手続上の事務を処理する建前となつていること、および原告佐藤、同根本に対する本件傭止めを決定した同原告らの上長に該る前記各職制は原告佐藤については金子二郎、金原和夫の両名であり、原告根本については小堀與一、橋本英明の両名であることが肯認でき、また原告影山に対する傭止めを事実上決定した職制は、後に認定するとおり被告会社国分工場原料部第一製罐課長米沢信雄である。ところで以上の職制が、当時原告らが抱いていた思想信条および原告らが行なつた前述の諸活動についてその具体的内容を把握し、これを嫌悪、敵視し、このことが決定的要因となつて本件傭止めを決意したという点については、これを推認するに足りる証拠は見出しえない。されば原告らの前記主張はしよせん理由がないことになる。

五  つぎに、原告らの本件傭止めに関する権利濫用の主張について、検討を加える。

前記乙第一号証、証人飯塚一雄、川本一郎の各証言と弁論の全趣旨を総合すると、被告会社国分工場の臨時員就業規則には別紙記載の解雇事由が定められており、被告会社日立研究所および日立工場の臨時員就業規則にも右と同様の解雇事由が定められていることが認められる。そこで右の解雇事由に照らし、原告らに対する本件傭止めの意思表示の効力につき、以下順次判断をすすめる。

(一)  原告佐藤正喜(この項において、以下単に原告という。)

被告は、原告は欠勤、年次有給休暇の行使が極めて多く、しかもその届出が当日になつてなされるため作業計画の遂行に屡々支障を来たし、仕事に対する責任感を欠いているから傭止めにした旨主張し、証人金原和夫、金子二郎の各証言を総合すると、原告は前述のように日立工場の電機検査課整流器検査係に所属し、整流器のエレメント検査作業を担当していたが、昭和三五年の一年間に頭痛、眼の疲労、腹痛等の理由のもとに一三日間欠勤し、しかもその届出は殆んど当日の午前八時頃に行われたこと、原告が欠勤した日にその住居を留守にしたことがあつたこと、原告が欠勤したため他の従業員の負担が増大し、時には作業量の消化に支障を来たすことがあつたこと、昭和三五年一〇月七日金子電機検査課長が原告の反省を求めるため契約期間を三カ月とする労働契約書を徴したが原告の出勤状況は依然変りがなかつたこと、および昭和三三年か同三四年の夏原告は一時、大型回転電機試験の作業を応援したことがあつたが、この作業を担当している間も他の従業員に比べ欠勤が多かつたことが肯認できる。しかしながら前記乙第一号証証人飯塚一雄および前記両証人の各証言および弁論の全趣旨を総合すると、原告に適用される日立工場の臨時員就業規則上、欠勤および有給休暇の届出は原則として当日の始業時刻までに行うべきことになつていること、大型回転電機試験の作業期間中の欠勤は、偶々盛夏の時期であつたことと右の作業が従前の作業に比し体力を要するものであつたため原告が胃を患らつた結果の已むを得ないものであつたことが認められる。また原告の昭和三五年の一年間における一三日の欠勤につき、健康上の理由によるものとして届出があつた場合、その理由が虚偽であるかどうかの判断は適確な資料に拠るべきで徒らに憶測することは妥当でないし、欠勤当日本人が自宅を空けていたからといつて健康を害していないと即断することも当らないであろう。以上の諸点を総合検討するとき、原告は他の従業員に較べ勤務成績が劣つていると判断することはできても、別紙記載の解雇事由第三号に定める「勤務成績が著しく不良のとき」に該当するものとは解せられないし、その他の解雇事由については被告において主張、立証するところがない。

そうであるとすれば、原告に対する本件傭止めの意思表示は臨時員就業規則所定の解雇基準に該当する事由が存在しないのに行われたものであつて、その効力を生ずる余地はないものといわなければならない。

(二)  原告根本道直(この項において、以下単に原告という。)

被告は、原告は研究補助者として能力、研究心に欠け成業の見込がないので傭止めにした旨主張し、証人小堀與一、橋本英明の各証言の一部を総合すると、原告は前述のように被告会社日立研究所の第一部(昭和三五年二月第八部と名称変更。)第一一研究室に所属し整流器の特性、磁気増幅、リアクトルによる電流の制限の実験作業等に従事していたが、昭和三五年頃原告が行なつた制御増幅の実験において二つの矛盾する結果が生じたのにその原因を理論的に解明していなかつたため、その実験報告は照査承認を得られなかつたこと、昭和三六年一月頃小堀主任研究員が原告に対し、XYレコーダーによるトランジスターの特性測定の実験報告を出すよう命じたが、期間内に完成の見込がなかつたため、他の実験報告に変更したこと、原告は研究心が旺盛でなく積極的に仕事に取り組む意欲に欠けていたこと、および小堀主任研究員は、原告の能力の点から考えて将来研究員として期待することができないものと判断し、傭止めにすることを決意したことが認められ、前記各証人の証言のうち、以上の認定に牴触する部分は信用しない。しかしながら他方、原告の担当する実験研究に関する能力の開発は、上長の指導如何に係るところ少なくないものと考えられるところ、前記各証人の証言によれば、上長である小堀主任研究員および橋本主任の研究補助員である原告に対する指導監督が果して適切なものであつたかどうかは、にわかに断定しがたく、したがつて小堀主任研究員の原告に対する前記の評価は必らずしも首肯できないのである。

以上の諸点と証人小堀與一の証言を総合検討するとき、原告は業務能力と勤務成績の双方につき他の従業員より劣つていることは否定できないが、別紙記載の解雇事由第三号に定める「業務能力又は勤務成績が著しく不良のとき」に該当するものと解することはできないのであつて、したがつて小堀主任研究員は、臨時員有期契約の見地に立つて、当該研究室の作業の効率化のために、他の従業員に較べて劣つている原告を傭止めにすることを決意したものと解するのが相当である。そうであるとすれば、原告に対する本件傭止めの意思表示は臨時員就業規則の適用を誤まつた無効の解雇というほかはない。

(三)  原告影山典男(この項において、以下単に原告という。)

被告は、原告に、職場の秩序を乱し、被告会社およびその従業員個人の名誉、信用を毀損するという懲戒解雇に値する行為があつたので、同人を傭止めにした旨主張するので考えてみるに、成立に争いのない乙第四、第五号証の各一、二証人米沢信雄、影山皓一、大楽政武の各証言と原告本人尋問の結果の一部を総合すると、つぎの事実が肯認でき、原告本人尋問の結果のうち以上の認定に牴触する部分は信用できず、他に右の認定を左右するに足りる証拠は存在しない。すなわち

原告は前述のように被告会社国分工場の原料部製罐課部材係(この係は昭和三六年二月以降第一製罐課に所属することになつた。)に配属され機械工としてボール盤作業に従事していたが、同じ部材係の企画員影山皓一(同人は昭和三六年二月部材係主任となつた。)は昭和三五年五月頃弟の原告について、同人の上長にあたる機械組長大楽政武から、技量や作業能率の点で平均より劣つており、他の従業員との協調性の面でも欠けるところがある旨の説明を受けたので、原告を厳しく指導するよう同組長にも依頼し、直接本人にも注意した。そこで大楽組長は、原告の作業内容を変え環境を一新すれば同人も心気一転して仕事に励みが出るであろうと考え、昭和三五年一〇月頃フライス作業を担当させ作業日誌を記載させるなどしてその指導に努力したが向上の跡がみられなかつた。さようなわけで皓一は、原告が国分工場に落付いても結局は下積みで終わることになるので、むしろ被告会社の下請負工場にでも転ずれば環境も変わり将来に期待をもつことができるものと考え、昭和三六年六月頃両親に意中を打明けて了解をえたが、同年七月上旬実家に帰つた際原告に右の考えを伝えたところ、これに対する原告の意見はえられなかつた。そこで皓一は、同年七月一〇日国分工場の組長詰所において、大楽組長とともに原告に対し、自発的に被告会社を退職するよう説得を重ねたところ、原告もこれに応じ退職することを納得し、皓一が代筆した退職願を受取り、翌一一日退職の手続をとることを約束した。そこで皓一は、上司である製罐課長米沢信雄に以上の次第を報告し、原告もまた同課長に翌日退職する旨挨拶した。ところが翌一一日出勤した原告は、作業開始前に行われる恒例の朝礼の際作業員を前にして、被告会社は自分に退職を強要しているが、自分は絶対に辞める意思はないので、支援してほしい旨の挨拶をしたため、参集した作業員は、突然の出来事に茫然とするというような出来事がおこり、このことを聞知した皓一が、原告のさような行動を烈しく難詰したが、ともかくその場は収まつた。ところが原告は同月一三日朝国分工場の通勤門附近において出勤してくる多数の従業員に対し、「被告会社は、原告と同じ課の主任をしている兄を利用して原告に対し、解雇される前に自発的に退職することを強制した」、「組長は原告に対し、被告会社が原告に退職を強制したのは仕事上の理由ではなく思想上の理由である旨述べた」等の記載のあるビラを配布した。影山皓一が、原告に対し退職を勧める意思を決定し、これを実行するについては、被告会社における皓一の上長は全然関係していないし、大楽組長の行なつた原告に対する退職の説得も、もつぱら影山皓一の依頼にもとづくものであり、かつ原告の思想を理由として退職を勧告したものでもない。前記米沢製罐課長は同月一三日、原告の前述のような朝礼の際における言動、ビラの配布行為等を理由に原告を傭止めにすることを決意した。原告は同月一四日朝にも国分工場の通勤門附近で出勤してくる多数の従業員に対し、「被告会社の原告に対する退職強要について、米沢課長、落合部長、勤労の神山、庶務の菊池等が関与している。」旨の虚偽の事実を記載したビラを配布した。以上。

しこうして被告会社が同月一四日午後原告に対し本件傭止めの意思表示をしたことは前述のとおりである。以上に認定した諸事実に懲するとき、原告の前記朝礼の際の言動および二度に及ぶビラの配布行為は、被告会社およびその従業員に対し、事実を歪曲してその名誉を毀損する背信行為であり、被告会社の経営秩序に違反するものであつて、被告会社国分工場の臨時員就業規則(乙第一号証)第六六条第九号に定める懲戒基準に該当し、かつ行為の時期、場所、態様、および結果を総合検討するとき、その情状は重く懲戒解雇に値するものといわなければならない。

ところで、原告は懲戒解雇処分を受けたものではなく、また右のような懲戒解雇事由は、別紙記載の普通解雇事由の何れにも該当しない。したがつてさような事由のもとに、被告会社が行なつた本件傭止めすなわち解雇の効力がつぎに問題となる。おもうに、使用者が就業規則において解雇基準を定めた場合、解雇事由の限定列挙とみるか、あるいは例示列挙とみるかは、右の解雇基準条項の表現および従前の慣行等を総合検討して判断すべきこというまでもないが、一般的にいつて使用者が解雇事由を前記の解雇基準に自律限定するというようなことはむしろ例外であり、懲戒解雇事由にも比すべき事由があつて普通解雇を受けても已むを得ないと考えられる場合には解雇事由の定めにかかわらず解雇できる趣旨と解するのが相当である。

そうであるとすれば、原告に対する本件傭止めの意思表示は、普通解雇としての効力を生じたものということになる。

六  以上のようなわけであるから、その余の点に関する判断をするまでもなく、原告佐藤、同根本の本件各請求は理由があるからこれを認容し、原告影山の本件請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九三条第一項本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 太田夏生 石崎政男 佐野精孝)

(別紙)

臨時員就業規則(抜萃)

(解雇)

第七〇条

臨時員が次の各号のいずれかに該当するときは解雇する。

(1) 第六六条又は第六七条によつて懲戒解雇の処分を受けたとき。

(2) 精神若しくは身体に故障があるか又は虚弱、老衰、疾病等のため業務に耐えられないと認めたとき。

(3) 業務能力又は勤務成績が著しく不良のとき。

業務上の都合がある場合には前項に拘らず解雇することがある。

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